産地・国分寺の特徴 錦松の盛衰生かす英知
香川県高松市鬼無町と並ぶ盆栽産地の国分寺町では、県道沿いのJA盆栽センターや国分寺北部小学校周辺に盆栽園や盆栽畑が集中している。国分寺町は錦松発祥の地。昭和40年代は空前の錦松ブームとなり、畑一面に錦松が植わり、盆栽農家は大いに潤った。
末沢喜市翁の功績
明治25(1892)年ごろ、末沢喜市翁のもとに見事な山採りの錦松を持ち込んだ人がいた。喜市翁はこれを買い取り培養、それから2年後に接ぎ木に成功して、大量生産を可能にした。翁は接ぎ木の技術を惜しげもなく公開、国分寺の錦松は全国に名声を博するようになる。
昭和38(1963)年には、錦松の中でも見事に皮のはぜる新品種の旭光(きょっこう)錦松が登場。圧倒的な人気となり、国分寺の盆栽畑は旭光一色に塗りつぶされた。しかし生産過剰などで価格が暴落、栽培農家の人々は錦松から次第に黒松や五葉松に転向していった。
今では錦松を専門に手掛ける栽培者は、国分寺では専松園3代目の橋本正博さんただ1人になっているが、橋本さんは新品種の開発にも取り組みながら伝統を守っている。
全国唯一の盆栽神社
国分寺の特徴は、全国でも類のない盆栽神社があることだろう。盆栽集出荷場近くの高台にある。祭神は、樹木をつかさどる男神の「久久能智神(くくのちかみ)」と、草花をつかさどる女神の「草野姫神(かやぬひめのかみ)」を合わせておまつりする盆栽の神様である。地域の盆栽文化の発展を祈る栽培農家の人々たちが平成3年に建立した。
境内には、錦松の元祖で国分寺盆栽の最大の功労者である末沢喜市翁をたたえる石碑も建立されている。碑文には「翁は一生を錦松にささげ、昭和6年、68歳の生涯を閉じた。偉大な徳をたたえ、長く後世に業績を伝える」とある。
(ライター・羽野茂雄)