錦松(1)国分寺が発祥 魅力は皮の割れと古色
末沢喜市翁が明治中期に接ぎ木に成功、大量生産を可能にした錦松は、国分寺が発祥の地である。盆栽が全盛を極めた昭和40年代、国分寺北部地区の畑は錦松一色に染まっていた。
生産過剰で価格暴落
錦松は黒松の一変種であるが、黒松にはない豪快な樹皮の割れ方と古木感が大きな魅力である。喜市翁以降、日清、末広、そして旭光などの品種が開発され、「国分寺といえば錦松」が定評となっていた時期もあったが、現在、国分寺で錦松を専門に手がけているのは専松園3代目の橋本正博さん(52)だけになってしまった。

専松園には、橋本さんの祖父専次さんが大正末期に接ぎ木した樹齢80年を超える錦松がある。戦前のものも百本近く畑に植わっている。橋本さんは「昭和40年代の生産過剰で価格が暴落した。培養する年数の割に価格が安く、生産者間で人気が落ちている。ところが、錦松こそ国分寺の誇るべき伝統。私の代は何としても守っていきたい」と話している。
新品種も開発中
県盆栽生産振興協議会などが2000年に錦松の新品種を発売して、話題を独占した。その名も「夢錦」。早く割れて葉の色が濃く美しい優れものである。夢錦の詳細は、機会をあらためて取り上げたい。
橋本さんは、末広を主力に夢錦などを栽培しているが、最近2種類の新品種の培養にも挑戦している。種子を薬品処理して作った実生の親木から穂木を採って育てる苗と、黄色にも見える葉が出た突然変異の枝変わりから穂木を採るものである。
いずれも、葉が太くて短く皮も早く美しく割れる。皮が早く割れるものは、そのぶん害虫がつきやすい問題があるが、その課題も三十数年に及ぶ錦松専門の栽培経験からクリアしている。

新品種はまだ増殖段階で、市場に出回るほどの大きさや数がそろうにはしばらく時間がかかりそうだが、橋本さんは錦松人気回復の救世主として期待している。
(ライター・羽野茂雄)